教会簡史集会活動団契生活毎日讀経講 道 集見証園地交通案内

徳蘭修女智慧語録

        かわいそうな人々 マルコ8:1〜10  君島洋三郎牧師  

 この前、「大和9条の会」の主催で、6月1日に中村哲医師講演会が開かれました。中村さんはアフガニスタンで灌漑用水路を建設している医師です。題は「武器ではなく命の水を」です。中村さんは1984年、パキスタンのペシャワールにキリスト教海外医療協力会から派遣され、医療活動をしてきました。1986年年には、アフガニスタンで医療チームを結成しました。2000年からは診療活動と同時に、大干ばつに見舞われたアフガニスタン国内の水源確保のために井戸掘りと用水路の復旧を行い、全長27キロメートルに及ぶ灌漑用水路を建設しました。
 中村さんは言います。「我々はアフガニスタンの人々が生きるために地面を掘る。乾いた大地に水が入ったとき、人々は生き延びることができた、と喜び、子どもたちは水に飛び込み、暴れ回った。はちきれるような生命の躍動が見た。これらが、平和の基礎である。命の水があれば戦争する暇はない。これこそ平和の実現なのだ」。平和は武器ではなく、命の水だというのです。アメリカの戦闘機は飛び回るその真下で、中村さんやアフガンの人々は黙々と水路を作っているのです。 

またNHKは昨年「武器でなく命の水を〜医師中村哲とアフガニスタン」という番組を製作しまし。番組は人々の状況や中村さんの活動が紹介されています。干ばつで飢饉に襲われるアフガニスタンで人々が飢えています。毎日数百人の子どもが命を落としました。さらに、多くの人が水不足のために病気になっています。水を供給する、ここにアフガニスタンの将来がかかっています。自分たちで食べていけるようになる、こういう社を目指して中村さんは、医師であることを辞めて、用水路の建築を始めました。番組は砂漠が緑の野に変わっていく物語でした。平和に家族がみんな一緒になって飢饉に出会わず安心して食べていけること、何よりも大きな願い、望みだというのです。

 砂漠が緑野に変わろうとする今、木々が生い茂り、羊たちが水辺でいこい、果物がたわわに実り、生きとし生けるものが平和に暮らせること、これが実現することを願って活動しています。

 今日取り上げる聖書は、人里離れた荒れ野で貧しく飢える四千人が食べられるようになったという物語です。用水路を作って砂漠を緑の畑にしたわけではないのですが、イエスさまによって多くの人々が食べられるようになりました。

四千人の給食に似た話を少し前に出てきます。6:30〜です。ここでは五千人ですが、同じような話です。なんかの間違いで二つを入れてしまったのでしょうか。そうではなく、二つは別々の物語である、マルコはこう考えてここに四千人の給食を入れたのだと思います。

二つは骨子や主張が大変似ています。しかし、違う点は多数あります。まず、食事に与った人の数は、五千人から四千人と千人少なくなっています。6章の方は、パン5つと魚2匹ですが、8章では、パン7つと魚少々です。そして、こっちの方の魚は小さいです。残ったパンの屑は12籠と7籠と違っています。

いろいろと違っていますが、今挙げたのは、大した問題ではなく、どっちでもよいものかもしれません。ある人たちは数字に象徴的な意味を見出し、12は弟子の数であるとか、7は完全数だとかと解釈して、そこにメッセージを見いだそうとしますが、そんなに複雑な意味を込めて語っているとは思えません。

一番の違いは、給食の出来事が起こった場所です。マルコは似たようなこの二つの物語は全く違った場所で行われた、これが言いたいのだと思います。五千人の給食の場所はガリラヤ湖西岸です。湖畔に立つイエスさまのところに大勢の群衆が集まりました。そのほとんどはガリラヤの群衆でした。群衆を見て、「飼い主のいない羊のような有様」だと思えてなりませんでした。イエスさまは「深く憐れみ」、五つのパンと2匹の魚をとり、賛美の祈りを唱えて、配りました。全員が満腹し、余ったものは12籠にいっぱいにもなりました。

五千人の給食のあと、イエスさまは、異邦の地、フェニキアのティルスに行きました。そこで、シリア・フェニキア生まれのギリシャ人女性の娘から悪霊を追い出しました。それから、北方の町シドンに行き、南下してデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖に来ました。ガリラヤ湖東岸ですが、デカポリスの外れで、ここも異邦の地です。ここで、耳がきこえず舌の回らない人をいやしました。この地方には貧しい人々が大勢いました。デカポリス領のガリラヤ湖東岸はローマ帝国が開拓し人々を移住させた都市です。ローマ風の都市が7つ(デカ)のあったポリス(都市)です。その都市の支配者たちから押し出されて外れに住みました。そこはもともとデカポリスそのもの、デカポリスらしさが詰まっているような「人里離れた所」です。「人里離れた所」は荒れ野、砂漠と訳すこともできます。砂漠と化した所で、群衆は食べることができませんでした。貧困にあえいでいます。

北日本全体に住んでいたアイヌ民族は日本の侵略で、北に追いやられ、言葉も文化も奪われ、人里離れた所に黙って住んでいます。台湾そのものである原住民族が山や島に追いやられたのと同じ状況です。

イエスさまは人里離れた所に立っています。周りには四千人の飢えた人々が囲んでいます。

アフガニスタンで、家族がみんな一緒になって飢饉に出会わず安心して食べていけることを願いながら、大地が砂漠になり、食べていけなくなってしまいました。家族を食わせるために、どうにもならなくなって泥棒や強盗に入る人、米軍の傭兵になったり、あるいはタリバン派、反タリバン派の財閥の傭兵になったりしていく人々が渦巻いております。中村医師はこの人々と向き合っています。デカポリスの人里離れたところで、イエスさまは食べることのできない四千人もの人々に囲まれています。イエスさまはどうしたでしょうか。  

イエスさまは言います、「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のまま家に帰らせると、途中で疲れきってしまうだろう。中には遠くなら来ている者もいる。」「かわいそうだ」というのです。「かわいそうだ」という言葉は五千人の給食のところの飼い主のいない羊のような有様を「深く憐れみ」の「深く憐れみ」と同じ言葉です。憐れみとは群衆の痛みが伝わってきて、自分の腸が痛む、という意味です。食べることができない人々を見て、かわいそうに、と思う。その思いは痛みとなった。イエスさまは、かわいそうに、と言ったとき、ご自分の腸が痛みました。三日も何も食べていなく、これからも食べられないかも知れない、と飢える人々は何をするかわかりません。武器を取るかもしれません。食べなければならないのです。こういう人々をかわいそうに、とイエスさまは憐れむのです。そうして、腸が痛んできました。

 それで、イエスさまは弟子たちに相談しました。すると、弟子たちは言いました。「こんな人里離れた所で、つまり、砂漠となった所で一体どこからパンを手に入れて、これだけの人に十分食べさせることができるでしょうか。」5千人の給食の箇所では、弟子たちはイエスさまにこういうのです。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」

これに対してイエスさまは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と強く言ったのです。弟子たちは「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」とイエスさまにくってかかるのです。

 空腹な人々を見て、弟子たちは、食べられないのは本人の責任、怠けているから貧しいのだ、自己責任である、自分は人を助ける必要は感じないし、その余裕もない、と言うのです。これが弟子たちの発言です。

 弟子たちは、イエスさまが食べられない人を目の当たりにして、かわいそうだ、と言って痛みを覚えたその心を理解せず、これを人事と考えている、とマルコはいうのです。マルコは、イエスさまの一番近くにいた弟子たちがイエスさまを理解していないと、何度も何度もいうのです。

 テサロニケの信徒への手紙二という書物があります。パウロが書いた手紙とされていますが、もっと後代のもので、初代教会の指導者のだれかが書いて、権威づけのため著者をパウロにして発表しました。教会が大きくなり、社会的勢力をもった時代の文書です。3:6〜にこうあります。

実際、あなたがたのもとにいたとき、わたしたちは、「働きたくない者は、食べてはならない」と命じていました。ところが、聞くところによると、あなたがたの中には怠惰な生活をし、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。

 「働きたくない者は、食べてはならない」、パウロがこういうはずはありません。もっと後になって、教会にはいわゆる社会的有力者が集まり、社会的地位があがりました。そこで、地位のある人や金持ちはイエスさまの心から離れてしまい、貧しい人に目を向けることは少なくなりました。自分で得たパンを食べなさい。怠け者は食べるな。働きたくても働けない人に向かって、余計なことをしていないで働け、こう言って教会から追い出しました。マルコ福音書の時代にも、こういうキリストの心から遠く離れ、裕福だけを求め、貧しい人を見捨てるキリスト者が生れつつあったと思います。

 さて、イエスさまは弟子たちに「パンはいくつあるか。」と聞きました。弟子たちは、7つあります。これは自分たちの分です。取り上げないでください、と言ったかもしれません。しかし、イエスさまはそれを取り上げ、群衆を座らせました。そして、7つのパンを取り、感謝しました。それから、小魚が少しあったので、祝福しました。

 イエスさまは、食べることのできない群衆への憐れみ、かわいそうという思いで心にも体にも痛みが走りました。少しであってもパンがあることは感謝でした。みんなに行き渡るかどうかわかりませんが、ともかくここにパンが7つある、神様感謝します。小魚が少々あります。神様、祝福してください。あなたの祝福で多くの人たちの口に入ることができますように。イエスさまの、かわいそうだ、何とか食べさせたい、と願うイエスさまの祈りがひしひしと伝わってきます。

 すると、人々は食べて満腹しました。その上、残ったパンを集めると、7籠になりました。ありあまるほどの、尽きることがない憐れみが満ち溢れています。憐れみがあるところ、かいそうだと思う心があるところには、つきることのない神のあわれみがあふれます。あわれみは籠7つも余るほどでした。

イザヤはこう預言しました。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。 熱した砂地は湖となり/乾いた地は水の湧くところとなる。(53章)

返回首頁做做做

  台湾基督長老教会 新眼光読経 霊修日課 信望愛網站 郷土関懐