教会簡史集会活動団契生活毎日讀経講 道 集見証園地交通案内

徳蘭修女智慧語録

                             リアルな信仰生活」 (マタイ福音書14章22−33節) 松原智牧師

起:皆さんは、どんな時に、お手上げ状態になりますか?

  今日は最初に、ある人の中学時代の話をします。彼が時代は、漫画や映画で『ビーバップバイスクール』という作品があり、流行っていました。それはリーゼントに、改造学ランを着たやんちゃな学生達を描いたものです。彼が入学した中学は全校700人くらいおり、その内の50人くらいがビーバップ系でした。そして彼もビーバップの仲間に入りました。そんなある日、ビーバップ系の50人で放課後の校舎で『ケイドロ』をしました。『ドロケイ』とも言いますが。それは半分が刑事なり、半分が泥棒になり、刑事が頃棒を捕まえるというゲームです。しかしただの『ケイドロ』ではなく、エアーガン、空気銃を用いました。そして上級生はかなり威力のあるエアーガンを用い、そして1年生は、5bも球が飛ばない、銀玉鉄砲でした。そして1年生の彼は泥棒役になり、逃げておりましたが、威力のあるエアーガンを持つ刑事役の3年生に見つかってしまい、逃げられないと思い、1年生の彼は手を上げ、降参しますと、その3年生は『逃げないと、撃つぞ』という訳の分からないことを言い始めました。つまり彼は逃げている1年生を打ちたかったのです。しかしどう考えても逃げられないので、1年生の彼は銀玉鉄砲を置き、『ギブ・アップです』と言い、捕まえてもらいました。

彼はそれから1年後、人生を変える『ギブ・アップ』を体験しました。それは自己中心に生きる事に『ギブ・アップ』し、神に従って生きる決断したと言う事であり、この少年とは私の事です。

 承:今日はイエス様のリアルな御業が記されている箇所を通して、私達にリアルに語り掛ける神の言葉と、そこにある神の主権、そして、その主権の中で生きるリアルな信仰生活という事を見て行きましょう。

→私達がリアルな信仰生活を送る為には、まず自己中心に生きる事にギブ・アップする事が必要です。

T.全ての事に意味を持っておられるイエス様(22−27)

@  イエス様は『神の国』をもたらす王なる方として『神の国』について語り、『神の国』を示すような愛の業を行われました。『神の国』とは神の愛の支配がなされ、神の愛が溢れている所であり、イエス様はイエス様を信じる者の心に『神の国』を、又、イエス様を信じる交わりにも『神の国』を与えて下さいます。

→その様な神の国を体験させて下さるイエス様は今日の箇所では『それからすぐ、イエスは弟子達を強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた』(22)とあります。

1)13節から見て行きますと、イエス様は五つのパンとニ匹の魚で、5000人以上を満腹にするという奇跡を起こされ、『それからすぐ』という事になり、『強いて』22節の事を行った理由は、奇跡を体験した事によって、熱狂的にイエス様を王にしようとする、間違った政治運動に発展しないように、又、弟子達がそれに巻き込まれないようにする為でした。つまり、ここにも神による意味がありました。

2)又、23節を見ますと、『祈る為に、一人で山に登られた』とあり、イエス様は神と親しい関係を深める為に、祈る必要を感じていたのでしょう。イエス様ご自身も事ある毎に神による意味を確信する為に祈られたのです。

3)弟子達を乗せた舟は岸から数キロ離れた所、湖の真ん中で、『風が向かい風なので、民に悩まされていた』とあり、どうして良いかわからない状況に弟子達は追い込まれていました。時は既に『夜中の3時ごろ』(25)とあり、これは『第四の夜回り』で、午前3時から6時の間を指し、弟子達は恐らく数時間、湖の上で向かい風に悩まされていたようです。そんな中、彼らは『イエス様が行けと言ったから、船に乗り、湖に出て行ったのに、なぜ、こんな事が起きるのか?』と思ってもおかしくない状況でした。

→しかし、イエス様が現れ、『しっかりしなさい。わたしだ。恐れる事はない』と言われ、ペテロが『主よ。もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい』と言い、イエス様が『行きなさい』というと、ペテロは水の上を歩き始める事が出来ました。しかし影を見て、怖くなり、彼は沈みかけましたが『主よ。助けて下さい』と言うと、イエス様はすぐ手を差し伸ばして彼をつかんで、信仰についての教訓を与え、船に乗ると、風がやみ、人々はイエス様を『確かにあなたは神の子です』と言って礼拝しました。

→神の御心であっても、向かい風があり、どうして良いかわからない状況に追い込まれる事もありますし、不信仰の故に失敗したかのように思える事もあるでしょう。しかし、その全ての事の中にも、神は意味を見出させて下させ、神の御名が崇められるように導かれるお方です。

A  まず注目して頂きたいのは、イエス様が湖の上を歩いておられるのを見て、弟子達はイエス様だとは気付かず、『あれは幽霊だ』と言い、半狂乱の様に叫びました。つまり湖の真ん中で向かい風と波によって、状況だけでなく、彼らの心も振るいにかけられ、どうして良いかわからない思いになっていたでしょう。その様な状況ですから、全ての物がマイナスに作用してしまったのであり、彼らは負のスパイラルの中に陥ってしまったという事が出来るでしょう。

→しかし私達もイエス様を信じて生きていても、状況的に『なぜ?』と言いたくなる状況に追い込まれる事があるでしょう。そこで神に祈るよりも、自分の力だけで何とかしようとしたりして神抜きで、事を行い、更に状況が悪化したかのように思える時、神を疑ったり、神に文句を言ってしまう、又、逆に冷ややかにどう感謝の様になってしまう事もあるかもしれません。そして私達も神への不信仰によって、更に負のスパイラルに拍車をかけてしまうという事があるのではないでしょうか?

B  「しかしイエスは直ぐ彼らに話しかけ、『しっかりしなさい。わたしだ。恐れる事はない』と言われた」(27)とあり、全ての問題に解決を与える事の出来るイエス様の方から近づき、声をかけて下さったのです。

→そうです。イエス様は全ての問題に解決を与える事の出来るお方です。なぜならイエス様は、その為に十字架にかかり、私達の代わりに死の罰を受け、三日目に死、罪、悪魔の力を打ち破るようにして復活し、全ての問題に解決を与える勝利者である事を明らかにされました。

→ですから罪を悔い改め、イエス様を信じる時、イエス様は、私達の罪を赦し、神の子とし、そして全ての問題に解決を与え、全ての事の中に神による意味を見出させて下さいます。

例)1960年代から80年代にかけての24年間にわたり、ルーマニア共産党政権の頂点に立つ独裁的権力者として君臨したチャウシェスクによって共産主義支配の中におり、クリスチャン達は迫害され、そんな中、ある牧師が大学で福音を語り、人々がイエス様を信じ始めましたが、彼は捕らえられ、福音を語らない様に警告されました。彼は牢獄の中で『イエス様の福音を語っているのに、なぜ、こんな事になるのですか?』と祈る中、彼はイエス様も何も悪い事をしていないのに捕らえられ、自分の罪の代わりに十字架にかかって死の罰を受け、三日目に死、罪、悪魔の力を打ち破って復活し、信じる者の罪を赦し、神の子の命を与えて下さる福音に気付かされ、彼は悔い改めると、『イエス様こそ私のご主人様です』と告白すると、神は彼の心に大きな変化を与えられました。そして彼は、この状況の中にも、神による意味があると思い、信仰を新たにされたそうです。

  イエス様が強いて舟に弟子達を乗り込ませられましたが、それによって彼らは結果、湖の真ん中で向かい風と波に悩まされ、負のスパイラルの中にいましたが、イエス様はそこに近づき、ご自身が共にいる事による安心を明らかにされ、このお方こそ全ての事に計画を持っておられ、全ての事に意味を持ち、それを必要に応じて私達に教えて下さいます。

 

U.御言葉に信頼するように導くイエス様(28−29)

@  向かい風と名によって苦しみ、又、幽霊を見ていると、負のスパイラルの中でパニック状態であった弟子達の耳に『しっかりしなさい。わたしだ。恐れる事はない』という声が聞こえて来ました。これは聞き覚えのある声、正にイエス様の声でした。するとペテロは『主よ。もしあなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい』(28)と言いました。この時、ペテロはイエス様の事を肉眼では確認できなかったのかもしれません。ですから『もしあなたなら』というわけですが、彼は『イエス様なら不可能はない』と信じ、『私に水の上を歩いてここまで来い』と「『言葉』を下さい」と言ったのです。

A  するとイエス様はペテロに『来なさい』とおっしゃいました。正にイエス様は『言葉』を求める、ペテロに『来なさい』と言葉をかけ、そこには『大丈夫だ、わたしに信頼せよ』と言う思いが溢れていた事でしょう。

B  『そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った』(29)とあり、彼は水の上を歩いたのですが、信仰的視点から言うなら、彼はイエス様が『来なさい』と言われた言葉の上を歩いたという事も出来るでしょう。正に彼はイエス様の言葉に押し出されるようにして、イエス様の言葉に従ったのです。

例)先程、話しましたルーマニアにおいて、迫害の中で牢獄された牧師は、その中で祈り、改めてイエス様の十字架の贖い、そして、そのイエス様が共にいるという事を確信し、解放後も福音を語り続け、ある日曜、彼はいつもの様に福音を語っていますと、兵士達が教会に入って来て彼に銃を向けると彼は聖書を盾の様にして目前に出し、一歩も引かず、正に御言葉こそ彼にとっての神の力そのものだったのです。そして彼は逮捕されましたが、牢でも彼は福音を語り続け、彼を通してイエス様を信じる人が続々と起されて行ったそうです。

  弟子達は向かい風と波に悩まされ、イエス様を幽霊というほど、気が動転していましたが、イエス様の声であると気が付くと、ペテロはイエス様の言葉を求め、そしてイエス様の言葉に信頼する様に、イエス様の言葉の上を歩くように水の上を歩きだす事が出来ました。イエス様はイエス様とイエス様の言葉に信頼する事を求め、その時、イエス様は確かに御自身の言葉に信頼する者を導いて下さいます。

 

V.全てを最善へ導くイエス様(30−33)

@  ペテロはイエス様の主権を信じて、イエス様をじっと見つめながら、水の上を、イエス様の言葉の上を歩く様に、一歩、踏み出しました。歩けました。二歩目も大丈夫。『なんだ、大丈夫だ!』と思ったのでしょうか?イエス様から目を逸らし、『風を見て』しまうと、『怖くなり、沈みかけた』とあります。

しかし彼は直ぐに『主よ。助けて下さい』と叫んだのです。

すると『そこでイエスは直ぐに手を伸ばして、彼をつかんで』(31)とあります様に、イエス様はしっかりと彼の叫びを受け止め、そして助けて下さったのです。

そしてイエス様は『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか』(31)と言われ、これは彼にとっての教訓となった事でしょう。彼は信仰がなかったわけではなりません。最初はイエス様の言葉に信頼して、イエス様の言葉の上を歩くように水の上を歩く事が出来ました。しかしイエス様から目を逸らした時、彼は溺れ始めてしまったのです。つまり彼の不信仰の故。しかし同時に『主よ。助けて下さい』と竹ぶ時、イエス様は確かに助けて下さるお方であるという事も体験したのです。

A  『そして二人が舟に乗り移ると、風はやんだ』(32)とあります様に、イエス様こそ自然をも支配しておられる主権者、神の国の王であることが明らかにされ、それによって33節、「そこで舟にいた者達は、イエスを拝んで、『確かにあなたは神の子です』と言った」のです。つまりイエス様を礼拝したのです。

)何度も、引用していますルーマニアの教会において牧師が逮捕された後、ティシソアラの町ではクリスチャン達が集まり、祈っていると御言葉によって強められて行き、遂に迫害が彼らにも及んだ時、彼らは力強く神を讃美し、彼らのその動きを沈静化する為に北兵士達が銃で打ちましたが、彼らの神への讃美の声は益々大きくなり、それがルーマニアの西に位置するティシソアラから東に、このムーブメントは広がっていき、その後、ルーマニア革命によって民主化し、それに並行する形でリバイバルが起きたと言われています。

B  ペテロは確かに風を見て恐れてしまいましたが、彼は御言葉を信じて一歩、踏み出した事は事実であり、溺れかけた時、『主よ。助けて下さい』と叫んだ事も彼の信仰であり、イエス様は、そんな彼を切り捨てず、確かに助け、そして彼に信仰の大切さを語り、彼は、この事を通して自分の信仰の不十分さと、しかし『主よ。助けて下さい』と叫ぶ時、確かにイエス様は答えて下さるという信仰を体験する事が出来たでしょう。

  ペテロはイエス様の言葉を信じて一歩踏み出し、水の上を歩く事が出来ましたが、途中で風を見て恐れ、不信仰な心が生じ、結果、溺れかけましたが、再び『主よ。助けて下さい』と叫ぶとイエス様は確かに助けて下さり、彼はイエス様に信頼する時に、イエス様は確かに最善に導いて下さるという事を学び、弟子たち一同、イエス様によって平安が与えられ、そしてイエス様を礼拝しました。

 

転:今日の箇所にはイエス様が強いて舟に弟子達を乗り込ませられましたが、それによって彼らは結果、湖の真ん中で向かい風と波に悩まされ、負のスパイラルの中に陥ってしまいました。しかしイエス様は、そんな彼らに近づき、ご自身が共にいる事による安心を明らかにされ、ご自分こそ全ての事に計画を持っておられ、全ての事に意味を持っておられる事を明らかにされました。又、向かい風と波に悩まされ、イエス様を幽霊というほど、気が動転してしまっていた弟子達でしたが、『しっかりしなさい。わたしだ。恐れる事はない』と語られたのがイエス様の声であると気が付くと、ペテロはイエス様の言葉を求め、そしてイエス様の言葉に信頼する様に、イエス様の言葉の上を歩くように水の上を歩きだす事が出来ました。イエス様はイエス様とイエス様の言葉に信頼する事を求め、その時、イエス様は確かにご自身の言葉に信頼する者を導いて下さいます。そしてペテロはイエス様の言葉を信じて一歩踏み出し、水の上を歩く事が出来ましたが、途中で風を見て恐れ、不信仰な心が生じ、結果、溺れかけましたが、再び『主よ。助けて下さい』と叫ぶとイエス様は確かに助けて下さり、彼はイエス様に信頼する時に、イエス様は確かに最善に導いて下さるという事を学び、弟子たち一同、イエス様によって平安が与えられ、そしてイエス様を礼拝しました。

今日の説教題は『リアルな信仰生活』という事ですが、今日のペテロの中に二つの側面の『リアルな信仰生活』を見る事が出来たのではないでしょうか?まず『信じる』と言っても結果、負のスパイラルに陥ったり、状況によって不安になり、不信仰になってしまうという面と、不信仰に陥ったとしても『主よ、助けて下さい』と祈る時、確かにイエス様は助けて下さるという面。

→これは私達も日々体験する『リアルな信仰生活』ではないでしょうか?

証)皆様にも祈り頂き、又、お捧げ頂いております、私が牧会しております笹塚キリスト教会の会堂建設ですが、無事、8月初旬に完成し、13日から礼拝も行っており、1014日に献堂式を行うことになっております。そして最近、地域の方が藻教会に見学に来られたり、又、新しく来て下さる方もおり、主に感謝しておりますが、ここまでのプロセスにおいて、正に『信仰』が訓練されたと言う事が出来ます。それは、そのプロセスにおいて、『大丈夫だろうか?』と思う壁にぶつかったことが何度もありました。しかしその都度、神は御言葉によって私達を慰め、励まし、信仰を私達が用いるように導いて下さいました。

ですから日々御言葉に信頼し、そして『イエス様は主』と告白していきましょう。『主』とはギリシャ語で『キュリオス』。当時、ユダヤの国は、ローマ帝国の属国であり、ローマの支配下にいた人々は『ローマ帝王こそキュリオス(主)』と言い、皇帝崇拝をしていました。そのような状況の中で『イエス様は主』と言う事は自殺行為でした。しかし彼らはあえて『イエスは主』と告白しました。それは彼らが強かったからでしょうか?そうではなく、彼は自分の弱さを覚えつつ、『イエス様は力がある』と信じ、『イエス様は主』、『キュリオス』と宣言し、そのイエス様によって導かれて歩んで行ったのです。それが彼らのリアルな信仰でした。

例以前、聞いた話ですが、あるご婦人が3,4年前にクリスチャンになり、そのご主人がある時、教会に行き、牧師に『私もイエス様を信じたい』と言い、彼が教会に来たのは始めてであったので、牧師は『何かきっかけがあるのですか?』と聞くと、彼は『毎日、聖書を読んでいたので』と答えたそうですが、奥さんからは彼が聖書を読んでいる所を見た事がないと聞いていたので、『いつ読んでいたのですか?』と疑う様に聞くと、彼は『私の家には歩く聖書がいるので』と答えたそうです。そして『妻は3,4年前にクリスチャンになり、本当に変わりました。家の中が本当に明るくなりました。妻をあんな風に変える神様だったら、自分の信じたと思ったのです』と言ったそうです。素晴しいですね。これが逆だと困ります。『あの人を見ていると教会に行きたくなくなる』とか。しかしこの男性はウォーキング・バイブル、イエス様を信じて生きている歩く聖書である奥さんを通してイエス様の愛に関心を持ち、奥さんを通してイエス様の愛を知り、そして信じたのです。

→しかし奥さんの側から言うと、実際は、そんなサクセス・ストーリーでないというのです。それはイエス様を信じてからも、紆余曲折、体験な事もあり、落ち込む事もあり、特にご主人がなかなかイエス様を信じてくれない事で心にはいつも葛藤があったそうです。しかしそのたびに、不信仰な自分の問題を悔い改めつつ、御言葉を持って必ずイエス様が最善に導いて下さることを信じて歩んできたそうです。

→正に彼女の中にも、『リアルな信仰生活』、不信仰な自分、しかし、その自分を助け、最善へ導いて下さるイエス様とイエス様の言葉に対する信仰があったのです。

 

結:ですから不信仰な自分を認めつつ、罪をしっかりと悔い改め、そんな自分を尚も愛し、『主よ、助けて下さい』と叫ぶ時、確かに助け、最善へ導いて下さるイエス様を信じ、イエス様の言葉の上を歩かせて頂きましょう。その為に日々、イエス様の声を、聖書を通して聞き、『イエス様は主』と宣言し、イエス様のように祈っていきましょう。

 

 

返回首頁做做做

  台湾基督長老教会 新眼光読経 霊修日課 信望愛網站 郷土関懐